キリストの福音にとどまれ!偽りの教えはあなたを縛り、正しい福音はあなたを自由にします。

心理学と福音を混ぜてはいけない

エリヤハウスの例から、心理学と福音をミックスさせるなら、福音が心理学に変質してしまうことは明らかです。

ですから、心理学と福音を混ぜてはいけません。福音にほんの少しでも心理学を入れることも赦されません。
もし、心理学を混ぜるならば、その福音はもはや人を救う力を失います。
私たちは、このような教えに気をつけなければなりません。

 

福音は、ただ一度堅く据えられたものです。私たちの務めは福音を正しく保つことです。福音を時代に似合わせて変化させることではありません。

福音はいつの時代も変わることがありません。
今の時代の人たちは、過去の時代の人たちよりもずっと賢くなっているから、昔のままの福音は通用しないとか、時代とともに福音も進化させる必要があるというのではありません。パウロが述べ伝えた福音は、今の時代の私たちにも語られているのです。

 

エリヤハウスのケースでは福音に心理学を加えたために、福音が果てしないトラウマ探しと、トラウマから来る不幸を恐れさせる悪い知らせに変わってしまいました。。
このことからも、福音に混ぜ物をすることなく、純粋な福音を保つことが大切であることがわかります。つまりパウロが伝えた「キリストの福音」を保つことがクリスチャンの一番大切な使命です。

教会に入り込む間違った教え 私たちに何ができるのか

エリヤハウスの問題は、教会が今直面している問題のほんの一部分にしか過ぎないと思われます。

エリヤハウス以外にも、エリヤハウスに良く似た心理学系のミニストリーがたくさん日本に入って来ています。

 

トラウマを取る方法にしても、記憶を改ざんをするものから、記憶の改ざんまではしないけれども、過去の悲しい記憶にイエスを登場させて、自分を見守っていてくださる姿を思い描いて心を慰めるものとか、その手法はさまざまです。しかし、これらのミニストリーも、どう言い訳をしたとしても心理学の手法をベースにしていますので、エリヤハウスと同じで非聖書的です。

 

そして、これらすべてのあやしげな教えに共通して言えることは、どれも「人間の肉」を喜ばせるということです。
自己愛、自己憐憫、自己価値、自己実現などの自己につく思いを高めるようにします。

 

しかし、福音は「自己」から「神」へ、そして「他者」へと思いを向けさせるものです。
救われた人は、自分ではなく神が栄光を取られることを喜び、人を自分よりも勝った者と思い、時には自分の権利を放棄して他者の益のために働く者へと変えられていきます。

 

では、私たちにできることはあるのでしょうか。

それには教会の指導者たち信徒たちが、パウロや使徒たちが述べ伝えた福音をもう一度確認し、その福音の上に立って教会に入ってくる間違った教えを退けていくことしかありません。

 

新しい教えを導入する前に、聖書に照らしてその教えが正しいかどうかを判別することです。これは牧師だけの責任ではありません。役員や信徒たち皆が真剣に取り組むべき事がらであると思います。
そのためには、牧師も信徒も間違いに対しては、はっきりと異論を唱えることができるべきです。そして、もし疑わしいということが判明するならば、教会は再検討していく用意があるという姿勢が重要です。
このことが、サタンからの霊的な攻撃から教会を守るために私たちができる最善の備えであると思われます。